カイロプラクティックを突き詰めると何も出来なくなった。
カイロプラクティックは病気や症状を扱わない。診断しない。 カイロプラクティックはサブラクセイションは扱う。 でもサブラクセイションはイネイトインテリジェンスが産み出したもの。 ではイネイトがサブラクセイションを産み出さないようにすればよいのだろうか。 いや、それも違う気がする。 そんなことしても対処療法と同じだ。 サブラクセイションは必要があって起こる現象(だと思う) とすれば、カイロプラクターがやる事は何もないんじゃないか。 ただ、検査してサブラクセイションがあるかどうかを判断するだけ。 サブラクセイションがあっても、何ともない人は沢山いる。むしろそっちの方が多い。 サブラクセイションが悪い、要らないものだと捉えれば、取り除かなければいけない。 でもどうやって悪いものだと証明するのか。もちろん良いものだと証明する事も出来ない。 ユニバーサルの中で生きている我々生命体には常にイネイトが100%備わっている。減じ得ないとすれば、サブラクセイションもイネイトの働き(だとすれば)、サブラクセイションがイネイトの力、メンタルインパルスを減じさせることはないんじゃないか。 そもそもイネイトやメンタルインパルスを測定する事もできないから、思考の域を出ていないじゃないか。 では本来のカイロプラクティックって何なんだろう。 僕の中での答えは「何も出来ない」 一個人の生命、人生に対して、僕はカイロプラクティック的には何も出来る事が無くなってしまった。 それじゃあ仕事としては成り立たないので それはそれとして、僕の価値観として持っておこう。 こんな悩みはカイロプラクティックをただのテクニックや治療の一部として考えている人には阿保らしく映ると思う。ホントにあほらしい。 カイロプラクティックに惚れたから、僕はもうカイロプラクティックと名乗りたくない。ホントはね。 それじゃあ生活できないので しょうがない、病気や症状を扱おう。柔整師、鍼灸師、社会の人間として。 上部頸椎カイロプラクティックを実践していた時に得た知見や技術も使おう。 病気や症状を扱うテクニックとして。 カイロプラクティックって言葉は使いたくないけど、多くの人に分かり易く知ってもらうために使うしかない。ごめんね。 2021年10月28日